ひょんなことから、福井のローカル放送でテレ東の「YOUは何しに日本へ?」を見ました。たまたま見てたという感じなのですが、その回での放送は「和食を極めるため名店修業」ということで、和食とフレンチの融和させた店をオープンさせることを夢見るカナダ人の若者(フレデリック)が、「つきぢ田村」という和食の名店で修業をするというものでした。
詳しい内容は、テレ東のnoteをご覧いただいた方がよいかもしれませんwww
この修行風景をリポートしているのですが、和食の真髄を学ぶということで、ごく基本的な「和包丁」の使い方から学んでいく様子や、左利きなフレデリックに対して、右利き用の包丁を使わせるために右利きの訓練と称して、100粒の豆を左の皿から右に移すタイムを毎日計ることで訓練したりと、ガチな修行の様子も放送されてました。
そんな中、「つきぢ田村」の店長が、フレデリックに「レンコンの皮むき」をさせたところ、きれいにむけたわけですが、そのむいた皮を捨てようとしたところで、それを止めました。
そして、フレデリックに一言。
いいところを使うのは調理人 最後まで全部料理にするのが料理人
それを聞いたフレデリックは、納得して謝ったんですが、この言葉がすごく心に刺さりました。
我々建築屋も、木材、鉄、コンクリートなどなど、様々な材料を使います。工業製品の材料から、自然素材の材料まで幅広いものを使います。そして、お客様の要望に応えるために、様々な材料を見分しそれらの材料を取捨選択して使うわけですが、それらの材料には「いいところ」もあれば「わるいところ」もあるわけです。
例えば、木材の板などは、天然木材であれば、節のあるところや、節のない柾目や杢目といわれる無地の部分もあります。また、色合いも白木の部分もあれば、赤みがある部分もあります。仕上げの造作材として使われる場合、できるだけ節がなく、白木の部分を仕上げとしてご要望されることが多いですが、用意した材料すべてがそのようなものであることは少ないです。
そこで、現場の大工は、搬入された材料をできるだけ無駄なく、そつなく使おうとします。したがって、仕上げとして節や色合いが問題がある材料をできるだけ目立たない位置につかい、目立つ位置にはよい材料を向かわせるように「選別」します。
つまり、職人としての力量というのは、対面している材料をどのように「すべて使い切るか?」が重要な能力として備わっているか?というわけです。そして、この点においては、料理人だろうが、大工であろうが、いわゆる「職人」という技能者には共通した能力だということです。
これは、現場の職人レベルでの例ですが、設計者も同じです。設計者はすぐに、強い材料など「設計に都合がよい材料」を使いたがります。あるいは、見た目のデザインや意匠性も同じく「都合が良い材料」をほしがります。これは自然素材なものだけではなく、工業製品とした材料もそうです。
ですが、本来、建築設計に必要な考え方というのは「手に入りやすい材料」で「手に入りやすい大きさ」のものを「工夫して使う」ことを計画することだと思います。そして、設計業務というのも、一種の「職人」の仕事であると考えています。
かのウッドショックのときなどは、「木材がない」ということで、今、手に入るもので考えるのではなく、いつ入ってくるかわからないような材料を、これまでも使っていたからという理由だけで、なんの工夫もしない設計者が数多くいて、現場は進まず、かつ、ご依頼されているお客様に「納材の遅延」を理由に工期を延ばす、あるいは、建築費を増大させるようなことがありました。確かに、供給量が少ないときですので、納期がかかることも、また、コストが高くなることも理解はできますが、それをできるだけ抑える工夫をしたのか?というと甚だ疑問です。
弊社では、設計においては、この
・手に入りやすい材料
・手に入りやすい大きさ
というものをかなり重要視して設計しております。そういうこともあって、この放送は、かなり心に響き、ささりました。これからも、精進していきたいと思います。