坂井市三国町にある「坂井市龍翔博物館」に行ってまいりました。この博物館は元は「龍翔小学校」として、1879年(明治12年)5月に建設されたもので、木造5階建て擬洋風建築の建物です。外観はちょっとごらんになれるでしょうか?六角形の建物です。
その「龍翔小学校」が建物の傷みが激しくなり、1914年(大正3年)には取り壊されたのですが、1981年(昭和56年)9月に「みくに龍翔館」として復元建築され、三国町の郷土資料館として運営されてきました。そして、2023年(令和5年)6月3日に全面リニューアルを行い、名称も「坂井市龍翔博物館」と改名されました。
さて「三国湊」は北前船が寄港する港町として栄えたところで、その遺物が展示されています。
北前船で栄えるというのは当時の経済状態を鑑みれば、海運業として、それはそれは半端ない経済力を背景にした繁栄ぶりで、ちょっと表現は悪いかもしれませんが、「半端ないお金持ち」が町をしっかりと支えていたのです。ですので、遺物として残されているものも、家具一つとってもすごいものばかりです。
当時を再現した街並みの模型の展示もあります。三国湊では有名なものに「突堤」というものがあります。
突堤は、海岸と直交方向に沖合に向けて設けられる堤防状の構造物のことで、海岸侵食を防止するための構造物ですが、港湾の出入口付近の延長の長い防波堤、港湾の埠頭なども突堤と表現することがあります。突堤は岸に平行に生じる海浜流を制御するとともに、砂浜の侵食を抑え、かつ、漂砂を捕獲する効果を持ちます。養浜の手段にも用いられます。三国の突堤は、「明治三大築港」としても有名です。
この博物館の六角形の最上階には突堤の設計を行ったエッシャーを偲んで、アートな空間があります。元々、みくに龍翔館時代には、だまし絵の展示があったのですが、「雲」をイメージした空間に生まれ変わりました。
最上階ですので、そこから三国湊を望むことができます。風景は変わったとは思いますが、海や港、そして河口の見え方は同じだったかもしれません。