敦賀赤レンガ倉庫

「赤レンガ倉庫」と言えば、横浜が有名どころですが、函館や舞鶴などにもあり、そもそも、港町として栄えたところには物資保管という意味合いでも、耐火レンガでつくられた「倉庫」が立ち並んでいるというのが常だったわけです。福井県においても敦賀は、明治から昭和初期にかけて、大陸への玄関口として栄えた港町であり、もちろん、「赤レンガ倉庫」があります。

この「敦賀赤レンガ倉庫」は、1905年に石油倉庫として建造され、2009年1月には、国の登録有形文化財に登録されました。そして、この赤レンガ倉庫を2015年10月に観光コア施設として改修、整備されました。

詳しくは公式のHPをご覧いただければと思いますが、今日はたまたま嶺南方面に足を延ばしたついでに、この敦賀赤レンガ倉庫の「ジオラマ館」に立ち寄ってきました。

「ジオラマ館」では、敦賀の港を中心とした街並みをジオラマ化し、昭和初期のもっとも港町として栄えた時期の様子を再現しています。特に面白いところは、敦賀の港としての立地と、そして、交通という部分の関わり合いを深く掘り下げているジオラマであるというところです。

このジオラマは、実に精巧につくられており、敦賀の地政学的な部分も「なるほど!」と理解できるくらい具体的です。正面スクリーンには解説のためのシナリオが上映されるのですが、その内容にあわせてジオラマの交通機関が動きます。もちろん、基本的に鉄道模型ですので、車両は走り回ります。また、その解説の中では鉄道模型に仕込まれたカメラで動画撮影しており、臨場感あふれる映像づくりとなっています。

敦賀は三方を山に囲まれており、鉄道網を敷くにはかなりの難工事になったわけですが、その山を鉄道が通っていくため、ループ線(鳩原ループ線)やスイッチバックなどの工夫がなされ、今でも鉄道ファンの間では希少な鉄道として注目されています。敦賀は関西、中京、関東方面からの交通の要所であり、その交通網はロシアのウラジオストックを経由し、遠くパリまで延びていたということで、大陸への玄関口として重要な位置だったわけです。

また、敦賀は、1940(昭和15)年~1941(昭和16)年、ユダヤ難民はナチス・ドイツの迫害等から逃れるため、リトアニアのカウナス領事代理・杉原千畝氏が発給した「命のビザ」を携え、リトアニアからウラジオストクを経て、敦賀港に上陸したという史実もあります。

◎人道の港 敦賀ムゼウム


北陸新幹線が敦賀まで延伸され、これから京都方面までの延伸が計画されようとしていますが、敦賀の交通の要所としての存在価値は益々高まっていくと思います。鉄道だけではなく、海路としての玄関口敦賀は、国際的な流通網を考えた場合、非常に有効なインフラ拠点だと言えます。

みなさんも、このジオラマをご覧いただき、ぜひ、港町敦賀をご覧ください。

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