今日は、昭和6年に建築された住宅の耐震診断に行ってきました。まぁ、昭和6年って100年まではいかないですが、90年以上の時間経過を経験している建物ですw そういう古い住宅に住み続けるっていうのは、とても素晴らしいことだと思いますが、その長い歴史にの中で、おそらく生活環境によって改修や改造がなされているわけです。
お客様のほうがすべての工事履歴をしっかりと理解されていれば問題はないのですが、90年近くの建物の歴史がある場合、現在の家主さんが生まれる前の話しだったり、現役世代には福井で暮らしておらず、他県で暮らしていたため、両親や祖父母が建物の維持メンテナンスを行っていて詳細がわからないとか、あるいは、住み手がいなくなって売りに出された建物を購入したなどの場合、まったくわからないということも普通にあります。そういった住宅を耐震診断する場合には、これまでの経緯がどうだったか?というのを、現場状況を見ながら類推する必要があるわけですが、こればっかりは場数を踏まないとなかなかわからないことかもしれません。
今日、調査に行ってきた事例はまさにそういう状況でした。まず固定資産台帳を見ると昭和60年代に増築された面積が10㎡ちょっとという記載があったのですが、それがどの部分を指しているのか?というところが調査対応の分かれ道になるので、それをはっきりさせる必要がありました。といいますのは、昭和60年代に増築行為がされているとなれば、それが「構造一体」という形態で増築されている場合、いくら昭和6年であっても補助事業対象にはなりません。なぜなら、昭和60年代に増築した際に、昭和6年の部分も含め「現行建築基準法」に準拠する必要があるからです。よって、まずは構造的に分離しているかどうか?この点から見なければなりません。
建物を見回ると、おおよそ10㎡程度の部分として想定できるのが「車庫」だったので、この部分の構造状況を調べると・・・・ 3枚目の画像に示すように妻壁側の梁がでていました。そこで内部も調査しますと、
ご覧の取り、構造が分離していました。手前側が新しく、奥側に古い梁などがみえます。この車庫部分が後から添えて建てられたことは明らかになりました。構造が完全に分離していることから、この車庫を除いた部分の耐震性を調査することになります。
さて、調査をすすめると、ちょっとした疑問が浮かんできます。これは浴室ですが、まず、このような設えは昭和6年にはありません。
間違いなく、現在に至るまでに手をいれられているわけですが、外にはボイラー置場もありますので、元々、ここが薪で焚くお風呂場があったということが推測されます。また外壁面が少し奥まってはいっていますが、理由が2つ考えられます。
・元々の外壁面は奥まっている部分で、その前に300mmほど出して、少し増築している
・出ている壁面だと浴室が広すぎるので、少し奥まらせた
これについては、一旦図面に起して、柱の間隔などを考慮した上で確定したいところです。そして、さらに調査をすすめると、このお風呂などがある、いわゆる水廻りの部分との間に「謎のくぼみ」を発見しました。それがこれです。
階段部分のところに壁の出入りがあります。また、玄関ホールなのですが、太い柱が配置されていますが、この位置に違和感がありませんか? これ、おそらく、当初の壁のラインは階段の部分の壁だったのですが、ここから水廻りの部分を壊して建てなおしているのでは?と推測しています。浴室がタイル張りになったのも含めて、おそらく生活空間の大改造をおこなっていると思われます。ただし、車庫側から構造を見た時にかなり古い材料を使っていることから、完全に壊したわけではなく、玄関ホールから水廻りの部分のつなぎの部分で柱を外したりして、動線を確保していったものと推測します。
2階部分については、造りは非常に新しいのですが、おそらく、元々2階は農業・漁業関係の物置としてつかわれており、家族形態が増えたタイミングで部屋をつくっていったと推測しています。
なんと、断熱材も敷き詰められていました。丸太組された小屋裏は、屋根垂木や野地板をみると、やり替えられているようですし、2階の部屋の間仕切り壁は、単に意匠的な壁でしかなく、構造的に梁で区切られているわけではない状況です。ですが、部屋の設えなどはかなりきっちり作られていて、傷みもほとんどない状況でした。おそらく、昭和50~60年代に、そこのお子さん世代がご結婚なされ、新居として2階を整備し、その際に、台所、お風呂なども改装したということが想像できます。車庫はそのときに増築したという感じ。
今回の案件は、家の持ち主が代わっているので、今の持ち主の方になる以前の状況はまったくの推測になりますが、調査の過程で昔なにがあった?というのをアレコレ想像しながら調査しないと、建物の構造の本質を見逃したりします。